Daddyとの出会いは 友達とHAWAII旅行に行ったのがきっかけだった 日系3世のDaddyは顔は日本人なのに英語を話してる なんか不思議な感じだったのよね  私も友達も英語は苦手なのに一生懸命に私たちの話すことを聞いてくれたり、色々話してくれたよね でも私は99%は理解出来ないでいたの 

私は始めてのHAWAII旅行に来た時にこの自然に触れて、そしてHAWAIIの人達のフレンドリーなところが素敵だと思った 祖母と一緒のHAWAII旅行で祖母もとても楽しんでいた、食事が終わってから祖母が『HAWAIIの人は日本語分かってるね、皆大阪弁だったよ』って言っていた 『え?大阪弁?』(笑) 日本語で色々話す祖母の話を皆聞いてくれて話し相手になっててくれたようだ ってもちろん英語だったんだけど祖母には大阪弁に聞こえたみたいね カタコトの日本語を話してくれた人もいたのかもね HAWAIIはこんな良いところが沢山ある、子供からお年寄りまで楽しめるところだと思った ワイキキビーチで白人の老年のカップルが手をつないでお散歩してる姿を見て私もおばあちゃんになった時にあんなふうになりたいなぁとも思った。今までは日本しか知らなかった自分の世界が急に広がった感じがした ‘自然体’で良いんだ‘自分らしく’で良いんだって急に楽になった。

そして私と友達はマウイ島に・・・そしたらDaddyはホテルに電話をくれたんだよね、住所を教えて欲しいってね ビックリ&どうにか住所を伝えられたって感じの英語力(笑) 日本に帰る日マウイから乗り継ぎの為にHonolulu空港へ 降りた所にDaddyが私と友達の為にジンジャーのレイを持って待っててくれたんだよね とても良いにおいのレイだった 短い時間だったけど少し話すことも出来たんだよね これだけの時間の為にわざわざ来てくれていたのが嬉しかったんだよ。

旅行から帰って普段の生活に戻っていた私にDaddyからの電話、これまたビックリの私にお構い無しに話すDaddy アメリカ人だなって思った。
それからDaddyは電話をよくくれるようになったんだけど、何話してるのか分からなくて辛い私、とにかく笑ってた記憶が・・・・

私も頑張って手紙を書いた、まずは日本語で下書きして辞書を出してきて英語に訳すけど分からなくて結局短い手紙にいつもなってたんだよね Daddyにも電話は理解できないので手紙にしてねってお願いしたの 手紙だと時間かかっても調べられるからって言ったけど 手紙書くの苦手だからって結局電話が多かったね、私はDaddyからの電話だと分かると胃まで痛くなってた時期もあった(笑)

そんな生活がしばらく続いてたんだけど 2週間HAWAIIに行くことになった、Daddyは自分もバケーションを取っていてくれて色々一緒に過ごしたんだよね、動物園に連れて行ってくれたり一生懸命だったDaddy、今思うと色々私にあわせてくれてたとよく分かる

急にDaddyの実家に行く事になった、Daddyはバケーションを取って実家のあるCaliforniaに帰ってると聞いていたので私はあまり深く考えずに一緒に行ってしまった・・・久しぶりのDaddyの帰省に親戚家族が続々と両親のうちに集まってきた それに圧倒されてしかも英語が出来ずひたすら笑顔を作っていた私 皆暖かな人たちで皆にハグされて何もかも初めての体験だった 日系2世の義両親は日本語が出来るのでそれが何よりも助けだった。

1996年にHAWAIIで家族に見守られて結婚式

Daddy以外に誰も知らないこの地に来て、分からない事だらけだった 行ったらどうにかなるって思えたこの性格だから良かったものの 何もかもDaddyに頼りっきりの生活だった 周りの皆には『どうやってコミュニケーションとってるの?』って良く聞かれた 本当にそうだと思う DaddyはHAWAIIが長いので日本人の話す英語にも慣れているから分かってくれるけど外は違う ショッピングとかに行っても『what?』ってよく言われた そういわれるともうそれ以上何もいえなかった 向こうは悪気は無くてもね・・・

HAWAIIは人種のるつぼといわれる場所だけあって色んなお国柄の人がいる、だからか皆フレンドリーだ、道で会えばみんな笑顔で‘Hi’って感じだし ここに住んでたら皆兄弟家族って感じ 子供から見て女の人は皆‘Auntie’(アンティー) 男の人は‘Uncle’(アンクル)なのよね Americaでは‘Auntie’も‘Uncle’も自分の叔母と叔父をさして使う言葉だけどここでは違うの Daddyに連れられてお友達の家族の所に行っても始めて会う私を家族のように受け入れてくれる人達 皆とても暖かい そう‘ALOHA SPIRIT’(アロハ スピリット) DaddyははそんなHAWAIIが大好きみたい Californiaにいた高校生の頃なんて1000人の生徒の中に自分も入れてアジア人が3人だったんだって いろいろあったんだろうね きっとね・・・

遠距離恋愛だったので結婚してからよくデートに行ったよね〜 結婚してからも色んな事があったけど一緒に乗り越えて来られたからこそ二人の絆も深まったと思えるよ グリンカードの申請には本当に時間がかかったけど弁護士は頼まず全部自分達でしたって言うかほとんどDaddyだよね ご苦労様でした 私も身体検査から予防注射から写真撮られたり指紋取られたりなんだか犯罪でも犯したかのような扱い!? 確かにこの国から見れば私は外国人だけど・・・書類を集めるのも大変だったよね 沢山の人の協力があってこそでした。

二人きりの生活が5年続いて妊娠発覚! 不安もあったけど 快適な妊婦生活だったしね 今までの生活とは全然違うけど楽しいよね!いろんな意味での責任感 お互いに‘父親’に‘母親’に成長していきたいね

今はまだまだSweetie中心の生活だけど手が離れてきたらまた仲良くデートにでも行きたいよね、Sweetieの存在のおかげで私もたくましくなってきたし(笑) お互いの家族もここにはいないので大変な事もあるけどこれからもよろしくね。

なんでも当たり前になってしまってはいけないよね、感謝の心は大切だし 言葉に出して伝える事も大切  Americaでは幼い頃から‘Thank You’と‘Sorry’がいえるようにしっかり育てられている、これは家族の間でも大切だよね。





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